215575 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第3回講座 下

 同じように金融の問題も、過去の事例にはない事例です。デフレもそうです。そして、今起きている日本型のインナーシティ問題も、私たちは過去に一度も経験のしたことのない、まちや村の崩壊という現状であります。ヨーロッパではそういうことが起きた。いいですか。私たちは、じゃ、なぜそのことに気がつかないのか。ヨーロッパでは、移民暴動がありました。だから、社会問題がはっきり見えるわけです。そのために、例えばヨーロッパの中央の都市行ってごらんなさい。いきなり駅前にバリアフリーになっていて、高齢者のケアつきの住宅があったりするという事例に突き当たるのは、そういう問題を克服する過程で、都市の中心部に老人たちを住ませて、客そのものを呼んでくるというようなプロセスがあったわけです。

 まちの中心がいきなりバリアフリーになっているから、何であんなことできるのかな。いきなりできるわけがないんです。実は空洞化が起きて、そういうことに対処する形で起きてきた事例が幾つもあるわけです。私たちは、今そういう長い取り組みをしなければいけない岐路に立たされています。

 話は飛ぶかもしれませんが、私は幾つか農村部を回ります。つい最近も、大分県の日田市に行ってきましたけど、大分の竹田の山の中とか、島根とか広島とか、青森とか幾つか農村を見て回ってますが、佐渡は親父の故郷なので佐渡島も行ってきましたけど。

 そこは、本当に中山間地から村落が崩れていくわけです。このパターンが山から麓へ押し寄せてくる。なぜかと言いますと、日本のインナーシティ問題の特色は二つです。

 一つは、高齢化問題。だから、移民暴動ではなくて、起きることは崩壊なんです。ゴースト化なんです。

 もう一つは、土地所有権が細分化されている。だから、まちや村を再建することが一旦落ち込むととめられなくなるという性格を持っています。

 話が中山間地に行くのは、私は島根県の匹見町とか、広島の作木村とか行ったんですけど、一時期は8,000人近くいた人口が、もう1,700とか800とか2,000人を割るような状況になってきています。

 どういうことが起きるのかと。棚田がある。中途で真ん中が挙家離村で駄目になる。水が流れませんから、周辺の田んぼが駄目になってくる。段々畑がところどころ所有者がいなくなって、草ぼうぼうになる。いじれませんから、どんどん害虫が湧く。共同作業ができない。村が崩落していくわけです。村で全部地権者を集めて、換地をして何とか立て直そうとしても、持ち主がまちへ行って挙家離村しちゃった。 

 あるいは、担い手であった最後の年寄りが死んでしまう。そうすると、もうだれも所有者はそこに住んでいない。実は、シャッター商店街という現象も、ところどころに起き始めると思うんですが、国際通りみたいな目抜き通りを除くと、周辺で幾つか起き始めます。そうすると、ある一定の臨界点を超えると、そこの商店街はものが集まりませんし、全部そろいませんし、活気がありませんから、集客能力があるところでがたっと落ちる。

 ところが、まちを再開発しようとしても、担い手がいない、後継者がいないですから、その後続かないわけです。集まろうにも集まれなくなってくる。やがて、10年も放置すればそういうことが起きる。今、日本全国で起きているのは、まちや村の崩壊です。

 じゃ、東京は大丈夫か。28本も高層ビルが建って、周辺はどんどん虫食い状に崩れたビルが、老朽化されたビルが放置されています。地方の県庁所在地も、空室率が15%を超えるようなそういうビル街がどんどんできている。

 私たちは、今、金融ではなく実態経済、流通の世界において、あるいはまちづくりの世界においても、高齢化と地権の細分化、そして周辺にデフレが進んで価格下落が続き、周辺に量販店ができ、量販店に大量に客が奪われていく中で中心街がつぶれていく。そうすると、沖縄はまだ家族がある程度残っていますから、まだしもですけれども、大きな都会では単身者のいわば独居老人が増えてくると、そういう人たちは中心部にも行けない、郊外にも行けない、ものが買えない。もうほとんど人間らしい生活を送ることができないような人たちが、全国的に生まれてきている。これが、今の全国的に起きているまちや村の崩壊の実相であります。

 私たちは、今起きていることが、昨日と今日の経験ではなくて、歴史的に何が起きているのか、この社会は日本型のインナーシティ問題にもし直面しているとすれば、中長期でなるだけ早く、どのように自分たちのまちや村を活性化するのか。まちのつくりようというのを、環境や福祉にいい小さな公共事業の積み重ねによるまちづくりをどうやって今の時点からしていくのかということが求められているわけです。

 沖縄も大量に量販店が進出してきていますけれども、それはやがてデフレの進行が続く中で同じような問題を引き起こすに違いありません。もう一度、この問題を考えていただきたいというふうに思うわけです。

 もちろん、農業や中小企業についても、ほとんどがデフレの中で今落ち込んできています。ゴーヤーも、鹿児島でつくった輸送費の安いものに食われてきていますし、沖縄の特産の様々なものが、より流通費の低い形でつくりかえられていて、沖縄の産品がいろいろな形で出せる範囲が常に壁に当たるということの悪戦苦闘の繰り返しの中で、今、皆さんがいろいろな問題に直面されていることも、ある程度は知っております。

 もう一度、そういう作業の中で、どういう付加価値をつくり出していくのかということが、そういうまちづくりや金融の問題と同時に、非常に大事な問題になってくるだろうと。

 そこで、地方で見ていて、非常に共通する大きな特色は、まずマーケティング能力がない。消費者が何を欲しているかわからない。

 それから2番目に、地域で循環型の経済をどうつくっていくかという問題意識が非常に低い。循環型というと、何かすぐ環境にいいとかいう話ばっかりなんですね。「武士は食わねど高楊枝」みたいな、清貧の思想でやる人。そういうことを主張している人に限って、市民とか名乗っているんですが、結構、所得が安定している人たちばっかりなんです。いい加減にしてくれと。食えないでヒーヒー言っている人たちに、清貧でいろというのは無理なんです。

 つまり、地域の中で地産地消みたいなものというのは、安全なものをつくり、流通コストを下げて、一斉に近くのところで農産物を売るような、そういう循環です。安全であればコストが高くなる、しかし流通コストを抑えることができる。そういうようなタイプ。しかも、だれがつくっているかというような表示ルールをさらに一歩加えるような、そういうような農産物の循環みたいなのを確保していく。と同時に、それをどうやってマーケティングして外へ売り出していくかと。そういう戦略みたいなことをしっかり考えていかないと、地域経済を支えることはできないわけです。

 農業や中小企業において、そういうマーケティングの能力。そのためには、都会的なセンスを持った人たちを大胆に活用することと、旧来の商工会とか農協とか、労働組合とか、あらゆるものがじいさん、ばあさんに、ほとんど占拠されてしまっていて死に体になっている。

 全国でうまくいっているところは、ほとんど40代ぐらいから下にイニシアチブを譲って、ある程度の年齢の人たちは、徹底的に彼らをサポートしている立場になる。そういう若い人たちを、いかにリーダーに引き上げているか。そういうところは、かろうじて元気なんです。

 じいさんたちが、最後までいるとどういうことが起きるかというと、集票マシーンになったり、利益政治をやったり、ろくなことが起きない。もう一度、未来を担う世代をどうやって育てていくかということに、ある程度年齢がいった世代は考えてほしいなというふうに思うわけです。

 私ももう50を超えましたので、私のゼミ生も含めて、大学院生も含めて、未来を託すような優秀な人材を育てないといけないなというふうに思うと、ああ老い先短い。頭があと何年働くかみたいな気分でいるわけですけど。

 今、そういう地域づくりの基本的なそういう方向性をもう一度思い起こして、もう一度一から生活を成り立たせなければいけない。そのことを一生懸命考えないと、この戦争と長引くデフレ不況の時代に生き延びていくことはできないんだ。そこを、もう一度原点に据え直すことが大事なんじゃないか。

 反戦平和は食べることからなんだと、私はどこかで確信をしているわけです。その上で私たちが、今、起きている三位一体改革や、市町村合併の現実というものを、もう一度見据えなければいけません。

 三位一体改革は、もともとは私と神野先生が共同で提案した、「地方に税源を」という東洋経済新報社で出した本がきっかけであります。その三位一体は、基本的な所得税や消費税の基幹税を地方に移しますと。かわりにその分、補助金を削りますと。地方交付税は、非常に財政力の弱いところを重点的にカバーをしていきます。地方交付税をなくせとかいう議論がありますけど、全くもってのほかです。

 つまり、より自主的に使える財源を増やしていきましょうと。沖縄や北海道は自主財源比率が本当に3割自治どころか2割自治なので、非常に低い自主税源比率です。だから、一般補助金だけにしてくれという議論が強いんですが、これはある意味で限界があります。一般補助金は残さなければいけない。と同時に、基本的な税源、基幹税を自分たちで徴収して、自分たちで使える完全に自由な財源というのを手に入れなければいけません。

 これは、那覇市のような大きな都市以外には、それほど期待できないものであります。それも完全に100%自主税源でまかなえないことは明白であります。しかし、自主的に使える税源を増やしていく必要があります。

 そのためには、東京都が突出してもうかるという状態。交付税をもらってませんから、税源が増えるだけ大きくなるので、この部分をいかにならすかという課題を逆交付税とかいろいろな形で、譲与税を今回政府が持ち出しましたけれども、それを一部組み込むことは、ある程度仕方のないことだというふうに思っています。

 とはいえ、何のために自主的な財源を地方にあげなければいけないのか、移さなければいけないのか。ということの本質的な意味が問われていません。何のために分権をするのか。ごく一番当たり前の問いを、だれも発していないんです。地方の財政が真っ赤っ赤だから。地方の財政が赤いからか。だから、三位一体改革で分権化して、スリムにして納税者の負担を軽くするためなのか。違うでしょう。私がずっと言ってきた、最後に来る地域デフレが恐ろしいんですよ。

 この地域デフレを防ぐためには、地域で循環する経済をつくり出さなければいけないわけです。さんざん大規模公共事業を引っ張ってきては、つぶれてきた多くの自治体があります。

 長野に、なぜ田中康夫が生まれたか。簡単です。長野県は、もうあのままオリンピックのような公共事業をやった後、維持費と地方債の負担に耐えかねている。だれがやってもああならざるを得なかったんです。ベスト3に入っちゃったんです。

 同じことが、開発予算に頼ってきた沖縄についても言えるわけです。ずっとそういうことをやってきて持つのだろうか。やがて持たなくなる。100%いわば基地との関係で裏負担をしてくれるような事業を、今ほしがっているわけだし、現にそういう事業が落ちてくるわけですけれども、そういう物乞いのような経済の有りようというものが、決して今の日本の財政のパフォーマンスからいって、持続可能性があるとは思えないわけです。

 続かなくなった瞬間に、それに依存して食っている人たちが、いきなり食いぶちが外された瞬間にどういうショックが起きているかというのを、今全国で見なければいけない。

 長野はしたんです。建設業者は必死に転換をするために、田中康夫なんかも転換資金を貸し付けたりいろいろなことはしていますが、何せ財政のゆとりがなくなった状況でいきなり餌が切られるわけですから、とんでもないことが起きる。将来そういうことが起きることを踏まえた上でも、地域で循環する経済をつくるためにも、自分たちの金は自分たちで使って、自分たちのまちに小さな事業を興していくということを、今自分たちの力でやらなければいけない。そのための分権化が必要なんです。いいですか。なぜ分権化が必要か。

 今までは、田中角栄のおかげで、実は二つの経路で地域の経済は持ってきました。

 一つの経路は公共事業です。不況になると、公共事業を全国にばらまくことによって、半年から1年遅れで地方の経済は立ち直ります。東京が不況でだんだん上がってくる。地方は、それから半年から1年遅れで上がってくる。東京が駄目になる。こうやって、東京と地方がよくなったり、悪くなったりしながら、全国の市場を大きくし、ショックをやわらげ安定化させる。そういう合理的な根拠があったんです。

 田中角栄がいかにひどいやつだとかいう批判は可能ですが、なぜあれほど根強いのか。合理的な根拠があったからです。

 ところが、もはや国も地方も、もうほとんど財政パフォーマンスは悪化しています。しかも、1999年から2000年にやった、あの小渕、森内閣のもとで100兆円を超える公共事業や財政赤字は、今つけの波として2004年からやってくるようになります。5年債の満期がちょうどそこに当たります。

 借換債だけの額だけでも80兆円に上る。しかも、36兆円の新規発行をする。それでも、一旦不況になれば持たないかもしれない。だれが消化するのか。景気がもしよくなったら、だれが消化するのか。これ以上、日銀や郵貯に押しつけ続けていって、それも持つのか。持たないでしょう。

 私たちが、今直面……

(テープ1本目終了)

 ……しかし、じゃ、我々は将来に備えて何をしているのか。何もしないで、それだけに頼るようになってないか。少なくとも、そういう問いを投げかける必要があります。

 私たちは、今、地方の分権を主張しているのは、地域のデフレを防ぐためには、まず自前のお金と自分たちが払った税金をもとにし、自分たちの権限がそこにおりることによって、自分たちがまちや村の崩壊を救い、そして地域の産業を興していく。自分たちの努力によって、地域の経済循環をつくっていく。そのために分権が必要なんだと、私は言っているわけです。

 もう一つ。地域がこれまで不況の中で立ち直るもう一つの回路がありました。公共事業とセットになっていたのは、工場の誘致です。企業の誘致です。これは全国で工業団地をつくり、道路をつくり、鉄道を通しというのを繰り返してきました。その結果どうなったか。全国のメガロポリスも含めて、めちゃくちゃなぺんぺん草が生える状況になった。工業団地の特別会計が、大きな借金の負担になっている。なぜなら、どんどん引っ張ってきた企業は中国へ逃げていっているから。価格競争で、労賃だけを競い合っているだけだったら、いずれ出ていくかもしれない。

 私は、打ち出の小槌のような提案はないと思っております。むしろ、そういう誘致もいいだろう。公共事業を引っ張ってくるのもいいだろうと。否定はしない。しかし、私たちが本当にしなければいけないのは、そういうものに過度に依存していくと、長期では持続不可能なんだという、そういう全国各地で起きている事実を踏まえた上で、いかに地域でどういうショックがあっても生きていけるような、そういう仕組みをつくっていくかです。

 今、東京三菱銀行は、日本で一番優良な大手銀行だと言われております。でも、よく考えてごらんなさい。バブルのときは、間抜けな銀行の代表でした。バブルに乗り遅れたんです。静岡銀行も同じ、滋賀銀行も同じ、広島銀行も同じ。馬鹿な銀行でもたもたしてて、地道なところしか貸してなくて、そしてバブルがはじけて見たら、間抜けな銀行は一番健全な銀行になった。 
 私たちは、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶとは、そういうことなんです。長期の視野で、今何を成すべきかということを考えたときに、今の三位一体改革は、目的論が全く脱落している。その上で、やっていることはめちゃくちゃだ。地方が絶対使わなければいけないような、出さなければいけないような補助金だけをどんどん削っていく。

 義務教育の国庫負担金を削られたら、やっぱり義務教育は出さなければいけない。そういう補助金を、私たちは削られているわけです。こういうのを、アンファンデッド・マンデート(Unfunded Mandate)と言います。「財源なき指令」と訳しましょう。これは、アメリカにおいて行われていることです。どんどん地方に財源を与えるふり、補助金をブロック化して、地方にひもをつけない形に表面上するんですが、法律やガイドラインでどんどん縛られる。介護保険だって同じ。何が地方自治だ。厚生労働省のほとんど事細かなガイドラインや指導で、地方を縛りつけることをやっているわけです。

 なおかつ、財源を根本的に移さないで、いきなり譲与税でまた国が配分の権限を握る。基幹税の移譲はどんどん先延ばしにされる。地方交付税はどんどんカットされる。これでは駄目なんです。地方交付税をなるべく削減せずに、今も交付税は地方負担分だけでも、隠れ借金が20兆円の半ばにもう来ているわけです。これ、どう再建するかといったら、増やすことはできないけれども借金を凍結しなければいけないんです。その上で、無理のないサイズで配っていくとしたらどうするのか。その上で基幹税を移し、そしてどの補助金をカットすれば地方の権限が高まるかという、基本的な議論をしなければいけません。ところが、そういう方向へ向かっていない。残念ながら向かっていない。

 もう終わらなければいけないということなので、最後に市町村合併について一言言って終わりたいと思うんです。

 私は、実は父親は佐渡島に長く続いた家の子孫末裔で、辺境の地に種があるというかオリジンがある変なやつなんですけど。田舎帰ると、土葬で鎌倉時代から箱がずっと並んでいて、能登半島から渡ってきたので能登半島に向かってずっと並んでいるというような変な、本当に辺境の地で生まれているんですけど。

 佐渡へ久しぶりに親戚に「講演してくれや」と言われて、「じゃ、行きます」言ってと船に乗って行ったんです。大変時間かかりましたけど。佐渡島全部が、佐渡市になるんです。山越え谷越え、向こうへ行くのに3時間かかるのに、佐渡市と言われたって困るよなという。

 なぜこういうことが起きるのかということをご説明しなければいけないんですが、その前にこの市町村合併が、本当に財政の改善のためなのか。合併すると、合併特例債というのが発行できます。公共事業でまた釣ってやるんです。合併したらどうなるか。自分の今まちや村がやったことは、合併してしまえば全体の借金になりますから、今のうち自分の地域は一生懸命公共事業をやろうという、いわばただ乗りが全国で起きているわけです。合併の嵐です。

 一方で、地方交付税で4,000人以下の人口のところは、どんどん配分を減らしているわけです。合併、合併へ誘導しているわけです。じゃ、こういうやり方していって、合併で財政パフォーマンスがよくなるか。ならないでしょう。

 本質的に議論しなければいけないことは、今、二つの選択肢が迫られちゃっている訳です。長野県の栄村みたいに、もう我々はこの村のアイデンティティーを守ります。ブルドーザーを買ってきて、補助金ありませんと言って、村の人動員して自分で道路を通しているという、そういう完全に自給自足でやろうという決意を定めるか。

 もう一つは、合併特例債を合併の協議をしながら、そういうものに頼らずに、財政をお互いにただ乗りせずにパフォーマンスをよくしましょうという形で、追い込まれている中でもそういう合併をしていくケースです。でも、その場合でも、村や町の名前をどう残すかとか、つまらないことで争っているのが、大体地域の実態なんですけど、そういうところです。 

 しかし、根本的にはどうしたらいいのか。中央と地方の分権しか今議論されていません。私は、「地方に税源を」の中で書いたように、都道府県と市町村で分業関係を明確にしなければいけないんです。

 いかに小さな村で介護保険をやって、一個特養をつくったら、維持費、管理費だけでもつぶれちゃうわけです。小さな役場が、あらゆる教育から戸籍から何でもやっている。3,300市町村が同じことをやっているなんてことは、馬鹿げた発想です。なぜ、都道府県と市町村があるのか。都道府県と市町村で分業関係を見直すことが重要なんです。県の全体の大きな費用がかかる施設の配分とかいうものは、県レベルでやるべきなんです。地域に密着して、地域の実情に応じた対人社会サービスを中心にして市町村がやる。いわば、都道府県と市町村の間の分業関係を担わしていくことが大事なんです。地域で密着したサービスをやるのに、市町村単位のほうがずっといいわけです。隣のやつがわかるわけです。県単位で、隅々の村の事情なんてわからないわけだから。そういう見直しが、本当は必要なんです。でも、そういう問題意識は、日本全体の中には十分に育っていない。何のために二層の政府があるのか。同じように、全部をやる小さな自治体を、少し大きくしたところで変わらないでしょう。

 沖縄県をいずれだんだん、沖縄市もちろんありますけど、全部沖縄市にしちゃうとかね。馬鹿じゃないかと。そのうち、県も合併するかもしれません。群馬県と埼玉県は合併して、群玉県(ぐんたまけん)。茨城県と千葉県は合併して千葉城県(ちばらぎけん)。足利銀行つぶれて栃木が危ないので、栃木県だけは東北に行ってくれって関東が押し返したら、東北の側も福島も嫌よと言って、日本は栃木から沈んでいっちゃうかもしれませんけど。

 我々は、例えば北海道で市町村合併しても、変わらないんですよ。介護保険をやればわかると思うんですけど、スクーター乗って隣に行くのに30分の市町村が、同じで全く30分の市町村同士で合併しても効率性なんかちっとも上がらない。だから、本質的には改革は実は地方内の分権が必要なんです。あるいは、自分の再編が必要なんです。これが、根本的な解決策なんですが、残念ながら今のところ現実的な政策、選択肢としては浮上してきていない。ましてや、国から地方への分権さえままならない状況の中で、私たちは地域の経済をどのように成り立たせていくかという、苦しい局面に絶たされているというのが現状だと思います。

 ということで、地域や地方の問題だけで、時間をとうに超過するだけしゃべってしまいましたけれども、私はある意味で、最後にこういうことだけをメッセージとして伝えたいと思っているんです。

 いいですか、今起きていることが何なのか。これは、昨日と今日を比較するような経験の目では分からないということです。すべてが新しい事態だ。それは長い時間のパターン、歴史のパースペクティブというものをしっかり持って見なければいけない。そういう問題なんだ。そういう意味では、私たちが戦わなければいけないのは、歴史という時間の流れなんです。

 私たちが、未来の世代に向かって、今何をなすべきかということが、私たちに課せられた本当の意味での公共的な仕事、公共的な任務。これが私たちに課せられた本当の課題なんだということを最後に強調して、きょうのお話を終えたいと思います。どうも、ご清聴ありがとうございました。


© Rakuten Group, Inc.